(ポエム)ふと思ったこと

大学に着任した1年目は研究資金が不足していて,カツカツな状態だった.機材はヤフオクで中古のものを買ったり,他の教員のお下がりを頂いたり,航空券も格安のを探してきて,なんとかやりくりしていた.そんなときに学生がコピー機を盛大に無駄遣いしている(厳密に言えば私用で使っていた)のを見つけて,思わず大人気なく叱ってしまった(自分はとにかく無駄が出ないよう,わざわざ白黒にしたり分割・両面を駆使してケチ臭く使っていたということもあるのだけど).今思い返してみればなんと器量の小さいことよ・・・と反省.なぜ今この瞬間にあのときのことを思い出したかはよくわからないのだけど,研究費にはちょっと思うところがある.研究資金はモノや旅費だけではなく,人に対して使うべきだと.そのためには主宰者はある程度の資金を獲得してこなければならない.そして,些末なことに腹を立てているようでは主宰者としては務まらない.

 

例年卒論シーズンは鉄火場のような状況の作業が続くのだけど,過去には怠けているように見える学生にはつい厳しい声をかけたこともある.今も鉄火場な状況はそれほど変わらないのだけど(共同研究+学会発表を兼ねることでパイプラインがうまくいっているようには思う),学生が多少のんびりしているように見えても叱ることはしない.その代わり背後で何がおきているかをポジティブに想像してみることにしている.そして実際に話をしてみると,その想像は正しいことが多いように思う.だから基本的には忍耐強く待つ.(ただし例外的に厳しい声をかけざるを得ない事もあるが,これも本人のことを考えてのギリギリの選択としている)

 

着任して,早くも8年ほどになる.これまで,ささやかではあるけど研究成果とみなせるようなことも多少積み上がってきた.そんな背景のもと,最近は研究室,あるいは研究グループをもう少し大きくしてみたいという思いが頭をもたげてきた.その連想で,上に書いたようなことが頭に浮かんでくるのだろう.組織を大きくするためには,自分自身がそれに見合う器にならなけらばならない.コピー機の無駄遣いをネチネチと叱るような狭量さでは駄目だ.組織を大きくして,大きな研究成果を出したい.組織を大きくすること自体を目的には決してしたくない.これがコロナ禍時代のチャレンジかな.・・・などと久々に素面でポエムを書いてみた(これは鉄火場からの現実逃避か).