論文採録とその先

年に一度の研究室の合宿で、研究室としての1年の振り返りをするようにしている。毎年1度、投稿状況などをまとめる良い機会になるのだけれど、この1年間での国際会議投稿数はジャーナルが6本で、国際会議が9本だった。ジャーナルは1本がアクセプト、2本が条件付き採録、1本がリジェクト、残りの2本が結果待ちである。国際会議は5本がアクセプト、1本がリジェクト、3本が結果待ちという状況であった。

 

特に国際会議に関しては、採録された会議はいずれも採録率が20%程度の難しい会議で、トップカンファレンスも含まれている。全般にかなり好調で、リジェクトされることがかなり減った。ジャーナルのリジェクト1本は担当編集者に問題があった案件で、実質的にまともに査読を受けていない状況(半年以上かけてデスクリジェクトという、ひどい対応)。国際会議のリジェクト1本は、十分に writing に時間をかけられなかったという反省がある。自分の中で通るという基準に達していない状況で投稿したもので、やはり採録されなかった。それ以外の投稿はいずれも通るという基準に達した投稿で、実際に採録に至った。

 

昔と比べてリジェクトが激減したのは、この何年間の継続的な投稿経験を通じて、論文の書き方(フォームのようなもの)が定まってきたからだと思う。自分の中で、こういうネタが良い、これをこう書けば良い、最低限この程度の品質に高めれば良い、といった明快な基準ができてきたので、それを締め切りまでに計画的に達成できれば、だいたいアクセプトになるだろうという感触がある。一種の自信のようなものが出てきた(それに慢心してはいけないけれども)。

 

論文が通るようになったのは良いことであるけど、最近はさらに先を目指したいという気持ちが出てきた。たまたまトップカンファレンスに通ったということではなく、継続してトップカンファレンスに論文を通していきたい。また、いくら打ち方がわかっていても打席に立たなければヒットは出ないので、打数を増やしたい。これに関しては、一緒に頑張ってくれる人がどれくらい増えるかにかかっているのだけど、欧米大学と異なり、雇用関係にない日本の大学院生に、過度に期待してはいけないのが現状である。それでも一部、やる気に満ち溢れた優秀な学生に恵まれてきたのは大変ありがたい限り。ポスドクを雇用できればと思うのだけれど、現在の日本の社会システム的にそうしたキャリアパスを歩む人は必ずしも多くないのが現状である。海外から人を確保できるか。そういうところを考えなければならない。

 

人を増やして業績も増やすという拡大再生産を目指すには、それに見合う予算や部屋などの器を大きくしていく必要がある。しかしそれを実現するためには必然的にマネジメントの仕事が伴い、今のような比較的余裕があると感じられる生活では回らなくなることは必至である。果たしてそこにとびこむ覚悟はあるか(まだまだ父親を慕ってくれる、子供と過ごすかけがえのない時間をある程度犠牲にしなければならない)。マネジメントを効率的に回す体制づくりを工夫できるか。もう少し今の生産性を安定して維持できることを確認してから拡大路線に行くのか、今から拡大を続けるのか。子供がもう少し大きくなってから拡大路線に行くのが良いのか。悩みはつきない。

 

また、何度か書いているように論文はあくまでも副産物であるので、研究した成果を世の中に還元する方法を模索する必要がある。論文はもちろん、還元する手段の一つではある。他に、技術(ソフトウェア)の公開、標準化、取材協力、起業などのアウトリーチが考えられる。今、特に関心があるのは標準化で、技術を広く世の中に還元する営みを経験したいと考えている。その営みの中で、海外とのコネクションを強化できればとも期待している。