トップカンファレンスの価値

前に会社の人に教えてもらったのですが、電子情報通信学会データ工学研究会のニュースレターで喜連川先生へのインタビューが掲載されているのですが、とても参考になります。
http://www.ieice.org/~de/jpn/newsletter/letter1.pdf

以下、いくつか抜粋です。

2. メジャーな国際会議に論文を通すことについて
[インタビュー部分] デフォルトはリジェクトなんですよ。スタンフォードでもバークレイでもウィスコンシンでも3回ぐらいリジェクトは当たり前なんです。そういう中で論文をインプルーブする作業を彼らはやっている。それが当たり前なんだという感覚で論文を読むと文章の真意が分かります。こういう感覚がないとpassion を維持することは難しいかもしれません。うちにも、1回リジェクトされると非常に悲観的になる学生もいるのですが、困ったものです。リジェクトが当たり前だという環境になるべく早くなじむ必要があります。まず何でもいいからとにかくどんどん出し続ける必要があります。そうすると査読者からどういうリアクションが返ってくるかが分かって、何をなおすべきかが掴め、そして、一つでも論文が通ると、今度は海外の友人ができるようになって、情報交換をするに従ってどれくらいの仕事量が論文としての世界的な標準かということがだんだん分かってくるんです。

私の専門であるネットワーキングリサーチとは分野は違う(といっても大枠では同じCSですが)のですが、上記はそっくりそのまま当てはまると思います。トップ大学の研究者の発表文献のページに行くと、proudly rejected と書いて投稿した論文へのリンクを残しているのをたまにみかけますが、それほどの自信作であっても落ちるものなんでしょう。なので、本当の意味で20%の採録率の会議があったら、スタンダードな品質のものであっても文字通り5回出して1回落ちるくらいの感覚なのかもしれません。そこに通すというのはやはり相当の仕事量が必要で、ページ制限には到底収まらないくらいの仕事をしないと採録されるのに十分ではない可能性が高いです。ページが埋まらないと言っているうちはまだあまいのでしょうね。

ところでインタビュー中で喜連川先生は下記のようなことも仰っています。

「論文を書くことが価値じゃない」。私(先生)はポスドクに対して「最終的に何をやらないといけないのか、じっくり考えましょう」と最初に言うんです。「学生と君らは違うんです。学生は大学にとってみるとサービスを受ける側で、教官やポスドクはサービスをする側なんです。君たちの給料はどこから来ているかを振り返ってみましょう。それは日本国民の血税から来ているんだから、最終的には税金を払っている人のことを考えるということが妥当なのではないか。ちょっとカッコ良すぎるかもしれませんが、つきつめると研究をするということは納税者に対して社会価値を返すことと思う。僕たちは納税者から聞かれたら、何をしようとしているか、何をしてきたかを判りやすく言えるようにしないといけない。論文を書くということはあくまでバイプロダクト。ファーストプライオリティじゃないと思う。」

企業研究者の場合は日本国民をお客様・株主、血税を投資という感じに読み替える必要はありますが、論文はあくまでもバイプロダクトというのはその通りだと思います。それが最終目的になってはいけないはずなんですよね。そういう意味で、良い論文を書くための十分な努力は必要なものなのですが、それだけに最適化されては駄目で、新たな分野を切り拓き、また成果を実益に供するというもっと重要なミッションもあるわけです。特に企業研究者の場合は実益に供することに大きな価値があります。

申し上げたかったことは、自分の成果を表現する際に、論文が採択されたということを見せることがとても判り易い表現であるが故に、ともすれば、論文をだすことだけが目的になってしまうことがあり、そうではないということを自戒も込めて申し上げたかったのです。大前提として、その研究成果を自分が愛せるかどうかが大切と感じています。

自分がやっているものを心底好きになれなければ駄目ですね。なんとなく疑念がありつつやっていたり、トップダウンで自分のウィルなしにやっているような研究ではきっと良い成果は出ないのだと思います。この部分は自分を偽ることのないようやっていきたいものです。