論文を書く理由

なぜ論文を書くかについて改めて自分の考えを書いてみる。基礎研究は論文が成果を体現するメディアそのものなのでそれを書くことの意義を唱える必要もないのだけど、応用に近い研究で「論文」を出版することに果たして意味があるのか?研究予算を獲得したり、研究者としてのテニュアポジションを得るための証拠としてのみ論文の意義があるのだとすると非常に虚しいが、そうではないというのが自分の考えである。
未来永劫そうであるかは分からないが、今現在研究者の間で成果を共有するメディアとしては論文が最適なのは間違いなく、共有された知を元に次の研究が生産されている。そしてその研究の意義は社会に役に立つことである。簡単に書くと

・論文として成果を発表⇒コミュニティとして研究が進展⇒進展した結果、成果が社会に還元

ということであろう。そこには基礎も応用も違いはない。あと上記は単一の研究や研究者の話ではなく、コミュニティとしての話である。本来コミュニティ内の研究者は仲間であって敵ではない。ライバルではあるが、互いに排除しあう関係ではなく、相互に高めあう仲間である。切磋琢磨するためにコンテストをするのであり、コンテストで勝つために頑張ることで成果を高めていくプロセスが論文の意義であろう。スポーツもコンテストというものがなければおそらく記録は伸びない。記録を伸ばすしかけとして査読付きの研究発表の場があるというわけである。さらに論文は競争するためだけにあるのではない。価値のある論文を読むことでさらなる研究の進展が望める。これはスポーツにおいても良い記録を出した演技は解析するに値するのと近いかもしれない。何が良いのか、どこが革新的なのか。それを学ぶことで人間はさらに歩を進めることができる。1本1本の論文は小さいものでも世界中の仲間で切磋琢磨を続ければいつしかブレークスルーが登場し、それは研究者以外の世界にもインパクトを与えるものとなる。すべての研究・論文が同じ方向を向いている必要はないが、コミュニティとして大きな成果に貢献することを考えると主成分みたいなものは意識した方が良いかもしれない。今の主成分に合わせるか、敢えて主成分を外して手薄なところを狙うかという選択肢が考えられる。