しないことリストの追加 - 日本語論文をやめよう

前回のつづきです。コメント欄を使ってちょこっと書いたことも合わせつつ、新しいリストを追加します。

まずリストを並べる前に、私がこのことを(再び)強く考えるきっかけとなった元ネタのid:tatemuraさんの記事群をご紹介させていただきます。いずれの記事も私にとってあまりにもツボに入りすぎなので、一つにしぼることができません。

私の Google Reader では id:tatemura さんの記事のほとんどにスターがついています。また、これらの記事へのブックマーク数がとても多いことからもわかるように、同じような関心を持つ研究業界関係者は少なくないのではないかと思っています。
ちなみに私が大量のスターをつける傾向があるもう一つのブログは島岡さんのブログで、こちらも毎記事毎記事とても参考にさせて頂いております。他にもいくつかあるのですが、話がそれそうなのでまたいずれということにします。

さて本題に戻りますが、上記の記事群ではいくつかの話題があるのですが、そのうちのひとつは日本の研究コミュニティがなぜ世界に見えないかという問題です。同じCS系の中でも分野こそ違いますが、私の専門であるネットワーク研究分野でも状況は変わらないです。SIGCOMM, SIGMETRICS, INFOCOM, IMC 等のトップカンファレンスでの日本からの発表は少ないですし、国際的に使われる製品やサービスなども欧米の企業にひけをとるところが大きいでしょう。ここでは詳しくは書きませんが、国家プロジェクトの運営に関してもちょっと思うところはあります。

そのような現状を鑑みますと、僭越ながら&自分のことはひとまず完全に棚にあげつつ私の考える(個人としてというよりはもう少し大きな視点での)理想の姿は優秀な日本の頭脳が環境の良い外国諸国に流出することではなく、日本からも「ふつうに」第一線の場での成果発表が増え、またそのような研究・技術に紐づく製品やサービスをいち早く提供できる企業が増えることです。そのような意味で上記と近いモチベーションから出発していると思われるT-PRIMALのような試みと素晴らしい実績はとても参考になり、勇気づけられ、そして身が引き締まる思いがします。また、上記のゴールの延長線にある姿として、一度流出し、修行して鍛えられた頭脳が再び日本に戻ってくるような土壌作り(=上記のゴールが達成されれば自ずと成立するのではないかと思います)というのもまた大事だと思います。またまた大風呂敷を広げましたが、そうなって欲しいという私の願いです。最終的なゴールにはいくつもの難関なステップがあることは百も承知ですが。大口叩いたついでにさらに大きなことを言えば、研究コミュニティ全体からしてもある特定の組織や国が絶対的に強いというのは健全ではないと思うんですよね。多様性からオリジナリティのあるものが生まれるのであれば、研究コミュニティ全体がすべてが同一のスタンダードに染まってしまうのは良くないのではないかと思っております。もちろんそのスタンダードが絶対的に良いものであれば問題はないのでしょうが、唯一絶対的に正しいスタンダードがあるかというとやや疑問もあります。

またちょっと話がそれかかりましたが、そのような遠大なゴールを頭に据えつつ、さて自分のような矮小な者にまず何ができるかということですが、先日のしないことリストを実践すること(要は時間を有効に使って力をつけるための戦略を自分に課すこと)に加え、上記の記事群の一番最初と最後の記事で触れられている「日本語論文を書かない」を実践しようと思います。枕の遠大さとあまりの矮小さのギャップにずっこけた人も多いんじゃないでしょうか。でもおお真面目に書いています。これは日本語ジャーナルに投稿しないということだけでなく、いわゆる学会の研究会や総合大会等での口頭発表につける予稿論文も含めると考えています。少なくとも自分に責任がある原稿については可能な限りこれを実践するつもりです。聴衆が日本人しかいない口頭発表でのスライド資料は滑らかに情報を伝えるためにも日本語にしようと思いますが。

こんなことは分野を問わず(日本を題材とする社会科学・人文学系等のリサーチコミュニティは除く)国外の研究コミュニティの一線でご活躍されている方々からしたら何をそんな当たり前のことをと思われることだと推察します。一方、上記記事中でも指摘されているように、研究会のようなお手軽に発表できる場というのはマイルストーンとして設定した中間成果を発表し、フィードバックをもらうのにちょうど良い場であったり、似たことをやっている研究者同士のコミュニティ形成のツールとしても存在意義があるのは事実です。

しかし、情報発信という意味では日本語文書はグローバルな観点ではプラスになりません。このことは情報は情報を出すところに集まってくるというよく知られた法則と、そして英語圏情報の超充実ぶり(wikipedia で同じ項目を日米で比較してみるとよくわかりますが)を見ても明らかだと思います。また、日本語は母国語なので素早く書けるとはいえ、準備にはそれなりの時間を費やしてしまう訳ですから、その成果物が後々プラスに加算されないものでは時間の無駄ともいえるでしょう。日本語原稿をやめることで空いた時間の分、future work と書いていたアイテムをやっつけることに時間を注ぎ込むことができるわけですから。研究会原稿を英語で書くことにしたとしても、最初はトップカンファレンスなどと比較すればまったく見向きもされないかもしれませんが、英語の文書を置いておけば(ここではとりあえず著作権の話題は置いておきます)いずれは検索エンジンにかかることであるわけですし、何より英文作成の実地トレーニングになるわけですから確実にプラスになるはずです。

少し言い訳を書きます。実は6〜7年ほど前のことになりますが、この分野に入ったばかりで、かつ企業にいながらにして無理矢理に我流を貫いて明後日の方向に研究を進めていた私でしたが、研究会の原稿も出来が悪いながらもすべて英語で書くように自分に課すことにしていました。社内用の資料作成時も周りの同期が日経○○を参考文献としてあげる中、意地でも英文文献しかリファーしない(実際本当に有用な文献はそれだけだったので)ような態度をつらぬいていました。しかし研究会の原稿を英語で書いてもその冊子自体が九分九厘日本語ネイティブの手にしか行き届かず、また内容をざっと流しよんでもらうためには日本語でないといけない(英語は飛ばすという人がいるのを実際に目にしました)現状を見てからは次第にダークサイドに落ち、日本語で書くようになりました。もちろん上記であげたアドバンテージの方に目が向いたということもあります。

さてダークサイドに落ちないようにモチベーションを維持するためには、自分だけではなく周りの多くの人々も日頃から同じように努力する環境があることが望ましいと思います。最近、韓国や中国の大学のサイトが発信する情報が充実してきていて、検索によくひっかかるのですが、例えば輪読のReading List wikiを作っていて、さらに担当者の発表資料も公開している研究グループをちらほらみかけます。その中には資料もあわせてすべてを英語でやっているところもあります。恐らくボスが欧米の大学や企業研究所で鍛えられてから母国に帰国して教鞭をとっているというケースじゃないかと想像しています。私自身もそのようなケースで韓国、台湾それぞれに帰られた研究者にお話を伺ったことがあります。このようなケースが国内でも増えていくことを期待し、自分の身の回りからだけでも(最悪自分だけでも)スモールスタートでやっていきたいと考えています。細々とやっていても継続は力なりですので。

さて、自分のできることとしての「しないことリスト」ですが、個人としてではなくチームとして戦略的にできることもあるのではないかと漠然と考えつつあります。また考えがまとまったらここに書いていこうと思います。

追記:
ブラウザの言語設定を [ja-JP] にしていると、つい日本語のローカル度合いがわからなくなってしまうことがあるように思います。検索エンジンの結果が日本語優先になってしまうケースが多いので。[en-US]に設定してみるとかなり違うものが見えることに気がつきます。例えば自分の名前を検索するのに同じ半角英字で検索しても言語によってランキングがかわったりすることがあるようです(まじめに検証したことはないので伝聞風に書いておきますが、そういうケースを目にしたことはあります)。また、人名ではなくある一般的なテクニカルタームを英数字で入力したときの結果はまさに ja なのか en なのかで結構変わります。en の世界で得られる情報量の圧倒的な多さを知ってしまうと、焦りを感じずにはいられません。