オンラインだと予定を詰め込み過ぎがち

以前から巷でも言われていることだけど、オンライン会議だと移動時間を気にしなくて良い。その反面、予定を詰め込み過ぎがちになってしまう。前の会議が終わる時刻に次の会議が始まるといった具合。今日はそれがひどくて、朝から18時までびっしりと予定が詰まっている。昼飯の時間もない(ダイエットにはちょうど良い)。これは学務として参加しなければいけない会議が3つ連続した直後に授業があるという鬼スケジュールのためで、そもそも不可避な状況にあった。授業直後に学生が発表する学会に参加し(メディアの取材もある)、ゼミ、行政系会議の事前レクチャーと続く。これらすべてを自室から参加するのも不思議な感じではある。

こんな調子だと最後は疲労困憊、夜にもう一仕事する体力が残らない恐れがある。が、今週締切論文2本に向けてなんとか作業は進めないといけない(内職も併用しつつ・・)

意識的に会議を分散しないといけないのだろうけど、今日のこれはスケジュール調整が困難だった。これで対面が戻ったら破綻するのだけど、そのときはどうなるのだろうか・・・と、現実逃避を兼ねて書き込みに来た次第。

粉瘤切開日記 (6) 最終回

本日でようやく治療が終わり、後は自分で絆創膏を変えれば良いということで、年末から続いていた粉瘤騒動もようやく一件落着となった。一抹の不安は、「鋭匙の医師」は診察の度にまだ中に入っているなぁと言って鋭匙でグリグリしていたのだけど、他の医師は「まぁ大分良くなってきましたねー」とか言っておざなりにガーゼを変えるだけだったりする(そして、その度にこれだけなら自分でやれるんじゃね?と思う)。痛いは痛いのだけど、鋭匙で出来る限り処置しておけば後から再発防止できるのかなぁなどと思ったりしたが、毎朝通院するのもそろそろ飽きてきたのでここいらが潮時かなと思い、自分から追加の治療をお願いすることはしなかった。再発したら早めに取りにいけば良いだろう。

最後は防水機能付きの絆創膏1週間分を病院の薬局で買って、後は家で適当にしていればOKとのこと。キュティポアプラス SSという製品なのだけど、これがすごく粘着力が高い。1枚100円くらいする。

現状、傷口はちょっとしたハロウィンのメークみたいになっていて、面白い。特に背中は抜糸した後がついているので、なかなか雰囲気がある。今ならそのままハロウィンに行けそうな勢いではある(100パー行かないけど)。

 

(追記)

当初は抗生物質を飲んでいることもあり、酒を我慢していたのだが、3日目くらいから勝手に解禁していた。医師からも何も言われなかったので、まぁ良いかなと。

 

粉瘤切開日記 (5)

もうこれ以上取り立てて書くこともなくなってきたのだけど、どのくらいで完治するのか、途中経過はどうであったか、という記録を残す目的で書いておく。幸か不幸か、腫れてしまった上で切除したケースと、腫れない内に切除したケースがあるので、比較ができる。

まず、治療のタイムラインは下記のようである(まだ続く)

12/23 胸部粉瘤切除(炎症あり)【激痛】

12/24 胸部鑷子処置【超激痛】

12/25 背部粉瘤切除(炎症なし)

12/26 ガーゼ交換

12/27ガーゼ交換

12/28 胸部鋭匙処置【超激痛】、ガーゼ交換

12/30ガーゼ交換

1/1 胸部鋭匙処置【軽痛】、ガーゼ交換

1/4 背部抜糸、胸部鋭匙処置【激痛】、ガーゼ交換 (いまここ)

 

背中の方は3日目くらいまで寝るときに痛かったが、それ以降は順調である。本日抜糸も済んで、ほぼ完治に近い。これは手術から10日後のことである。胸部も腫れは引いてきて何もしていなければ痛みは感じない程度。手術後12日目の本日も傷口はまだふさがっていない。医師によるのだろうけど、鋭匙を使う医師(ドランクドラゴンの塚地氏に似ている)にあたると必ず傷口をグリグリされる。本日もグリグリされたして頂いた。ちなみに鋭匙の儀式は新品の鋭匙*1を袋から取り出す「開封の儀」から始まる。鋭匙を使った治療は粉瘤を切除した後に残された嚢腫の袋を取ったほうが治りが良い、再発を防止できるという配慮なので、ありがたく痛みを甘受する。それにしても年末年始にこれだけ通っていると、病院、そして医療関係者のありがたみを感じる。幸い、通院している病院はCOVID-19による医療崩壊とは程遠い状況であるため、その点でも安心である。

 

*1:とにかく鋭匙は怖いというイメージがあったのだけど、鋭匙を使った治療をしても毎回治療費が3割負担で380円なのはありがたい(そう思えば痛みも耐えられる程度の冷静を保てるくらいの痛み)。鋭匙は毎回袋から新品を取り出しているように見えるのだけど、おそらく使い捨てということではなく、回収して消毒した上でまた納品されているのだと思う。その意味では、厳密には新品とは言えないとは思われるが、今度通院したとき聞いてみよう。

粉瘤切開日記 (4)

後は自然治癒モードに入ったのでもう書くことはないと思っていたのだけど、今日通院したら、まだ傷口に嚢腫の残骸があるから、取っておきましょうと担当医師に言われた。ちなみにここまで担当医師は全員違う人なので、医師によって所見や処置が違うということがよくわかった。それはそうと、その医師が看護師に持ってくるように頼んだのがあの鋭匙(えいひ)である。それを聞いた瞬間に絶望的な気持ちになるのに追い打ちをかけるように、「ごめんねー意地悪するわけじゃないんだけどさ」とサディスティックな口調で話しかけてくる医師。そして処置が始まると案の定激痛が・・医師は「麻酔もなしにこんな痛いことするなんて残酷だよねーごめんね」なんてことを言っている・・。その処置はしばらく続き、最後に取れた嚢腫の残骸も見せてもらったりした。医師曰く、「酒粕」みたいなものを取っておいたほうが治りが良く、再発もしにくいとのこと。ただし、見えるところだけやったので、100%取れたとは言い切れないとも・・

今回の処置は激痛は激痛だけど、案外耐え難くもないかなんて思ったりした。辛さと同じで、連続して刺激を受けていると段々慣れてくるものかもしれない。そうは言っても次回の通院は気が重い・・

粉瘤切開日記 (3)

昨日の痛みを思い出して足取りは重かったが、渋々と通院。懸案の患部はあっさりとガーゼの交換だけで完了してしまい、拍子抜けした。(ちょっと痛かったけど)ただ、毎日担当医が変わっているので、ちゃんと引き継ぎがなされているかは不安な限り。そうこうしていたら、炎症していない背中にある粉瘤に話が及び、急転直下今日取ってしまいましょうという話になった。ちょうど外科の外来が空いていることもあり、またもやその場で手術と相成った。こちらもいつかは取ろうと思っていたのだけど、こんな機会でもなければまた先延ばしになると思い、手術を承諾(まぁそんな大げさなものでもないのだけど)。胸部のときと同様に手術台に寝かされ、麻酔をざくざくと打ち(液がたれてきて冷たいのは大丈夫だったのか)、メスで切ったような感覚を少し覚えつつ、多くは腫瘍の袋を引っ張られているような感覚が続く。痛みはないが時間がかかり、処置には30分くらいかかった。検体は念の為に検査に回すということであったが、記念に写真を撮影させてもらった。中の液体のようなものは術中に漏れ出てしまったようで(おそらく破れたのだろう)、外側の袋だけ。かなり大きいものが入っていたことがわかった。会計中にブログ記事を調べると麻酔が切れたら激痛という記述を見かけ(条件はかなり違うのだけど)、また恐れ慄いていたのだけど、結局大した痛みが出ないまま今に至る。明日も通院してくださいと言われたのだけど、おそらく明日で終わりかなと思われる。というわけで、顛末としては傷口はまだふさがっていないけど、一件落着ということで、地味な手記もこれでおしまいです。

 

追記

時間が経過して麻酔が切れてきたらちょっとは痛いですな・・・

粉瘤切開日記 (2)

粉瘤切開の翌日も通院。今日は昨日とは違う先生が診察。まずはガーゼ交換からであるが、傷口に押し込んであるガーゼを剥がすだけでかなり痛い。そして痛がっている様子を見て、ベッドの上に寝かされる。そしてガーゼ交換だけで終わるという淡い期待は打ち砕かれ、「まだ中に結構残っているので、取っていきますね」との通告を受けた。鋭匙(えいひ)ではなかったものの、鑷子(せっし)なるこれまた恐ろしい響きの器具をメスで切開した傷口から差し込み、中に残っている嚢腫(粉瘤を構成する袋状の組織)を掻き出す処置を受けた。声が出るほどではなかったが、眉間にシワが寄り、歯を食いしばってうぐぐぐ・・と力が入るくらいには痛い。処置時間は15分ほどだっただろうか。

激痛ではあったのだけど、幸いかつて受けた臍炎の治療時ほどの痛みはなかった。臍炎のときはゾンデなるこれまた恐ろしい響きの器具を臍から奥深く差し込み、膿を掻き出す処置を受けたのだが、これは経験者には「鳥葬」とも形容されるほどの激痛が走る恐ろしい術式で、20年近く経つ今も未だにトラウマである。痛むのは臍だけでなく、内部でつながっている肛門のあたりも含めて鋭利な痛みが直線的に突き抜ける。そう、まるで臍から尻までを串刺しにされているかのように・・・当時、処置終わった後には痛みと精神的ショックのあまり立ち上がることすらままならず、会計にいくまでの短い距離を憔悴しきった顔をしながら車椅子に乗ったほどであった。今回は先生が優しくて、丁寧に処置してくださったので、痛いながらもなんとか乗り切ることができ、感謝している(ちなみに臍炎のときのT先生には未だに恨みのような感情を持っている)。しかし、まだ明日以降も処置が続くと思うと憂鬱である。酒も飲めないんだよなぁ・・・

粉瘤切開日記 (1)

なぜか昔から、年末(それもクリスマスの頃)になると痛い病気(それもちょっとめずらしいもの)を発症することが多い。過去には臍炎(さいえん)、帯状疱疹、胆石症(過去に2年連続クリスマスに発症して診察した医者に笑われた)、そして今回の粉瘤(ふんりゅう)の炎症である。過去の痛い記録のいくつかはこの日記でも顛末を記してきた。

 

経緯を簡単に書くと、思い出せないくらい前 (病院によると少なくとも6年以上前)から粉瘤なるシコリのような出来物が胸部にできてしまい、一度病院で診察したらまったく急を要するものではないが、いつかは取ると良いと言われた 。そしていつものように「急ぎでないものは後回し」ということで、後回し後回しで結局ずーっと放置し続けている内に忘れてしまい、意識にも上がらなくなってしまった。それがこの数日くらいにどういうわけだか突如として粉瘤君が痛むようになり、明らかに炎症を起こしている。肌に優しい柔らかな服を着るだけでもピリッと痛み、ショルダーバッグ的なかばんを背負うとそれが当たって痛い。シートベルトするのも痛い。もちろん匍匐前進なんて絶対にできない(し、そんなことをする機会は日常生活で決して訪れないのだけど)。そこで、今朝、朝イチで病院に行って外科の診断を受けたところ、その場で即手術判定となり、心の準備もできないまま診察ベッドに寝かされて切開手術と相成った。局部だけ穴が空いている水色の布のようなものをおざなりに被せられ、麻酔をざくざくと2-3本打たれた後、メスで切開した。これまで手術経験は数あれど、メスをいれるような手術は全身麻酔でやってきた。今日は意識がある中で、医者が看護師に「メス」と言っているのを初めて聞いた*1。 うぉーまじかー!!と妙にテンションがあがる。切開自体は麻酔が効いていたのでそれほど痛くもなかったのだけど、最後に切った部分の奥の方にガーゼを詰めこむ必要があり、その処置は過去に受けた臍炎治療を彷彿とさせる激痛を伴うものであった。いかにも麻酔が効いていなそうな奥の方にガーゼを突っ込んでいるのだから、痛いのは当然じゃないかな、などとまるで第三者的な視点で他人事のように心の中で思ってみるのだが、当事者なんだから痛いものは痛い。激痛に耐えながら、自分の拷問耐性が限りなく乏しいことを自覚できた。これがあと7秒長く続いていたら、おそらく自分が知り得た秘密は洗いざらい喋っていただろう(まぁ、拷問する価値のあるような大層なこととは何一つ知らないのだけど)ちなみに怖いので、終始目を固くつぶっていたが、終わりしなに執刀医が「ほれ」と言うので、目を開けたら取り出した粉瘤の残骸だけは見ることができた。こんなものが身体の中にあったとは・・・

まぁそんなこんなで、明日からしばらくの間ガーゼを交換しに通院をしなければならないのだけど、おそらくそれはかなりの激痛を伴うものと想像している。色々調べると、鋭匙(えいひ)なるいかにも痛そうな名前の器具を使って、傷口をグリグリするというような恐ろしい記述が出てくるので、正直恐れ慄いている。そんな不安をいささかでも解消すべく、自分の気持ちを文章にぶつけてみることにした。これは、楽しいクリスマスなどとは縁遠く、ただひたすらに痛みに耐える中高年男性の手記である。

追記

仕事は山積みであるが、痛みが酷くて何も手に付かない・・・明日以降良くなるのだろうか・・前に扁桃腺切ったときもそんなことを書いていたが、あれは入院していたのに対し、こちらは日帰りなのでスケールが違うはずなのだが・・・

*1:ただしドラマなどと違い、執刀医、看護師、患者の全員が中高年であることに注意されたい