研究はソーシャル

10年以上前のお話。職場に英国からポスドク研究者が来た。先輩社員が国際会議に行った時に知り合いとなり、その縁で自分が所属する研究グループに来ることに。彼は某著名研究者のラボで鍛えられた研究者で、そのボス同様にアクが強い面はありつつも、彼から学ぶところは少なくなかった。
その彼が言っていたのは研究はソーシャルだということ。とりわけ、作業量が膨大で、対象が広大かつ時変な分野ではソーシャル力が本質的だと思う。今改めてそのことを振り返ってみるにつけ、研究というのは余裕がなければ出来ないのではないか思う。勝手知った仲間と仕事をするのは何かと楽なのだけど、発想がマンネリ化するリスクがある。新たな研究パートナーを探すのは時間もかかり、見つけた後も物理的な距離があると軌道に乗るまでは大変ではあるのだけど、その苦労に見合う発見もある。
そういうメリットを理解していても、余りにも時間的な余裕がなく、日々押し寄せる波への対処に追われてしまうと、乗り入れるのを躊躇してしまう気がする。ソーシャルであるためにはまず時間の捻出が必要。