clean slate

いまネットワークリサーチ業界ではこの話がホットな話題のひとつなのだけど、過去のしがらみに縛られることなく一からインターネットを作り直してやろうという姿勢には大変共感を覚える。その一方で、総務省が立ち上げたIPアドレス枯渇問題に関する会議を受けてここ最近また再燃しているIPv6問題を再考してみると、(技術的に)理想のネットワークと実際に世の中で使われるネットワークとの差が浮き彫りになり、ネットワークの研究者としては何をもって理想のネットワークとするかはなかなか悩ましいところだなぁと思う今日この頃。
ある技術的な尺度(例えば end-to-end QoS)に最適化した際のネットワークの理想像と、それを使うユーザの経済モデルまでを考慮したネットワークの理想像とは単純にはマッチしない。IPv4 アドレスが枯渇するか?ということを考えたときに、経済的視点ではIPv4アドレスの枯渇はあり得ない。再分配すれば良いという池田氏の主張はとてもよく理解できる。一方、再分配のためにアドレスを分割することでルーティングテーブルの肥大が生じるが、その状況が望ましくないこともよくわかる。最近の例だとprefix 20万超え問題があった。では両者を考慮した折衷案をとれば良いかというとそんなに問題は単純ではない。
・・・というあたりの背景に基づいてネットワーク研究についてちょっと考えつつあることを昨晩あたりに異分野の研究者である友人と gtalk でしたのだけど、チャットと時間の限界もさることながら、自分自身の考えが確固としていなかったのでうまく伝えられなかったな。

インターネットの本質的な成功要因は End-to-End principle を徹底する事でネットワークの透過性やスケーラビリティを確保できたことにあるのだけど、爆発的に成功を収めてしまい、多数の人々が使うようになってしまった今や、その効率や成功を語る上では(ものすごく多様で複雑な)経済の観点をとりこまざるを得なくなってしまった。古き良き時代の頃のようにシンプルに問題をとらえられなくなってしまったということだろう。ネットワークを使う人、使い方、作る人、いずれもが多様になりすぎたし、ものすごく早く変化する。かの Dr. V. Paxson も指摘しているように、シミュレーションでさえ実行が困難になっている。
Why We Don't Know How to Simulate the Internet (1997)
上記が発表されたのは10年前だが、その頃からしても更なる複雑化、大規模化が進んでいる。何をもって理想とするべきかという尺度も多種・多様になった。もちろんこの事実をポジティブにとらえればチャレングかつプラクティカルな課題に取り組むとても良いチャンスといえる。

最初の話に戻って、一からネットワークを作り直すというときに考えなければいけないのは、
・何をもって理想のネットワークとするか
・そのネットワークは実際に使われるものなのか
ということだと思う。ここで気をつけなければいけないのは、特に(当たり前のことだけどしばしば忘れられがちな)後者だろう。自分が考えた理想が他の人にとっても理想であるかはよくチェックしないといけない。ネットワークの構築には多数の人が関わるし、そして多数の人が使って始めて意味のでてくるものだから、独りよがりであってはいけない。しかし clean slate で様々な提案が出てくれば、その中から一番良いもの以外は淘汰されていき、最後に残るものこそが理想なもの、ということになるのだろう。ここで意味のある淘汰を進めるにはいかに現実のユーザに選択させるかというのが鍵になってくる気がするが、それが一体どういうことなのか、どのように実現すれば良いのかはまだよくわからない。これは今後考えなければいけない最重要課題かもしれない。

ところで clean slate の話ではないのだけど、ちょっと関連する話で NGN に関する中島氏のご意見はとても参考になる。トップダウン的にインフラを構築するのではなく、ボトムアップ的にユーザの要求を満足するようなしくみを考えるべきだと思う。

つづく(かも)