思いついた事いろいろ

(その1)
こっちに来てから、研究に割ける時間が圧倒的に増えた。時間だけではなく、空間的な制限も少なくなったかな。いつでもどこでも自由に研究が出来るというのは本当に良い環境だと思う。オフィスの環境の作り方を考える上でかなり参考になっている。日本の職場の環境である大部屋だと何かと途中でインタラプトされてしまうことが多かったのだけど、意識的にインタラプトで困らない環境や仕事の仕方を作っていかなければならないと思う。とはいえ個室をもらうなんてことはできないので、無線LANを活用して図書館を有効に使うとか、そのほかの場所をうまく使うとか、在宅勤務をもっとアクティブに使うとか。あとずっと同じところに居続けるのではなく、時々場所を変えながら作業をするというのも結構有効だと思う。2時間に一回くらいは全然違うところにでかけていって、ソファーに座ってコーヒーを飲みながら考え事をしてみるとか。あとインタラプトされないで一つの事を考え続けていて、ぽっといいアイディアがひらめいたという経験がこちらに来てから2度ほどあった(ちなみに今日もひとついいアイディアが出た、というかある問題に対して今までと違うアプローチの方法を思いついた)。それほどものすごいアイディアというわけでもないのだけど、今までと同じような思考の仕方では多分考えている途中でインタラプトが入り、そのアイディアはきっと出てこなかったと思う。あとは十分に勉強の時間がとれるというのも貴重だと思う。関連する技術を片手間ではなく、じっくりと追いかける事によって、今まで見えてなかった問題とかアプローチが見えてきたりする。

(その2)
同じようなことを前にも書いたけど、別の切り口で書いておこう。ある○○を達成するのに、△△法が必要で、△△法の精度を上げるには□□の式を解かなければならないのだけど、その□□の式を解くにはある××という数値解析的な手法をつかわなければならなくて、その××という数値解析を行うには、☆☆というルーチンが良いのだけど、単純に使うと計算が遅いので‥と再現なく細かいところに話が進む事がよくある。だけど、大事なのは(当たり前すぎなんだけど)そもそも最初の「○○」がなぜ達成されるべきなのかとか、どう達成されるべきなのか、精度とはなにか、とかいうところをわりと曖昧にしたままで最後の☆☆のルーチンが、というところに話がすっとんでしまう事がある。で、結構いじくり回したあげくに出てきた結果は○○からして大した事ないなぁとか、そもそも○○ができて本当に嬉しいかなぁ、ということになりがちなのだけど、それはやはり最初のところをじっくりと考える時間をとっていないのが原因だと思う。締め切りドリブンで○○を決めなければならなかったりすることもあるだろう。○○がちゃんと良いものでかたまったとしても次の△△法以外の方法はないか、ということもよく考えなくちゃいけない。method-driven ではだめってこと。が、得てして面白いのは最後の方のメソッドそのものだったりする。しかし!ここは自分を戒めなくてはいけないと思う。本当にすばらしい研究というのは最初の○○から着眼点が優れていて、最後の××も新規的だったりする。それは××から出発して○○になったというよりは、○○から丁寧につめていった結果、××という手法にたどり着いたということなのじゃないかと思う。もちろん分野にもよるとは思うし、一概にどうだということは何もいえないけどね。いや、とにかく××から入りがちなことをやめなくてはいけないなぁということを自分用の備忘録として書いておこう。そもそも研究の目的は○○にあるのであって、××は手段にすぎない。んーなんか当たり前過ぎの事を書いているけど(新人に対する説教の文句ベスト3に必ず入る、「目的と手段を逆にするな」というの)、これって厳しい目で見てみると意外とできていない人は多いんじゃないかなぁ。面白いから研究するんだ!深いから研究するんだ!というのはまったく否定しないのだけど、対象がサイエンスでもなく、実際の工学的なものだったりすると一体なんなんだろうといつも疑問に思う(これ、前も書いたな)。文脈は相当に違うけど、茂木健一郎氏のロマンティックなサイエンスとグーグルという話がある(http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2007/01/post_cbb7.html)。サイエンスは「ロマンティックな態度」でも問題ないと思う(ときには現実的な事柄にも目を向けるべきだとは思うけど)。そもそもスコープが違うのだし、長い目でみてサイエンスとエンジニアリングは相互に影響を与えるものだと思うので、どちらも同じ方向ではいけないと思う。一方、サイエンスに対するグーグルは究極的なエンジニアリング的態度とでもいうべきアプローチをとっているのだけど、これは現実社会にとってとても有益なことだし、そのような態度は必要な事だろう(グーグルの最終ゴールはそれはそれでとてもロマンティック、というか非常に魅力的だと思うけど)。
しかし、エンジニアリングに対する態度が前者のサイエンスを評した意味での「ロマンティック」ではイカンのじゃないかと思う訳です。なんかなるべく具体例を出さないで婉曲的に話を進めようとしているのでとてもわかりにくいのだけど、そのような態度でエンジニアリングの研究を進めているひとが結構多いような気がしておりますです。さっきの例でいうと、××法という世界がもうできていて、そこでの手法をやや強引に近年流行の○○に当てはめてみるというアプローチ。××万能論ということだと思うのだけど、世の中万能ナイフ(しかもやや特殊)よりはもっと適した道具を使った方がずっとうまくいく例ってたくさんある気がする。それはプログラミング言語が色々あるのと同じかもしれない。××が本当に万能で、様々な領域に適用できる手法なら良いのかもしれないけど、万能とはいえエンジニアリングがベースだとすれば使える分野や領域は限られてくると思う。そもそもエンジニアリングというのは対象があってこその技術じゃないかと思う。実際の対象を直接的な方法で良くする手法を提供することによって、実益に供する事にこそ醍醐味がある。
なんてとても偉そうなことを書いたけど、強い自戒を込めて。(そもそも自分は使い込んだ万能ナイフすらもってない!)